会長挨拶

総合インプラント研究センター(General Implant Research Center:GIRC)の発会以来
ずいぶんと時間が経過いたしましたが、やっとホームページをリニューアルすることが出来たのは一重に会員の皆様のご尽力の賜物と慶賀の念に絶えません。

顧みますれば、昭和51年(1976)頃より(株)京セラのInstructorとして全国的に講演を続けた結果、3〜4年後には種々のtrouble caseが出てまいりました。演者の責任として、解決法の質問に対応する為に日夜悩まされ且つ解決に努力しました。しかしながら、個人の力の限界を知り、その対応に協力して頂く人材が必要である事に気がつき、山根稔夫先生のお許しを得て日本形成歯科研究会の支部的存在として東京形成歯科研究会を発足し、 trouble caseの対応出来る人材育成に努める所存で、浅学非才の身の程知らずの自惚れ者をも顧みず、会員の皆様のご尽力を得て、8年間会長としてインプラント学会にも研究会の名称が知られ名実共に発展してまいりましたが、時の流れと環境の変化に采配され、会長を辞任することとなりました。そのため8割くらいの先生方が一緒に退会される結果となったのです。

一方、昭和57年(1982)SUMICIKONとしての開発を始め、平成元年(1989)には厚生省の認可も取れ、いよいよスタートする時期に前記8割の先生方に再度集まって頂き若干の新人を加えて研究会を発足したのがG,I,R,Cであります。
元来『総合インプラント研究センター』の名称は
 1.総てのインプラントを研究するセンターである。
 2.総てのインプラントの症例を解決できるように研究開発するセンターである。
この二つの意味を兼ね備えています。
どうか、会員の皆様も、GIRCの益々の発展にご尽力下さいますようお願いしてご挨拶とさせていただきます。
                                津末 臺 

理事長挨拶        GIRC第3代理事長に就任して

平成16年2月、先代の中村正和先生より、理事長を引き継ぎました。私のような弱輩な者が、諸先輩をさしおいて就任したことははなはだ僭越と存じます。しかしながら、なったからには、会員の先生に少しでも役立てるように、努力したいと思います。
 私は実家が長野県の松本市で地元の松本歯科大学を昭和57年に卒業し、すぐに津末会長の診療室に就職しました。津末会長よりインプラント治療を教えてもらい、昭和59年神奈川県厚木市で開業し、現在に至っています。
 GIRCは平成元年2月に、津末会長、中村副会長、伊藤副会長、梨本施設長など20名程で発足しました。平成9年に日本口腔インプラント学会の研修施設として申請、承認され、100時間セミナーを受講の先生方もインプラント治療のニーズに合わせ年々増加の傾向にあることは、大変うれしく感じると共にその責任も重く感じております。
 現在歯科治療において、インプラント治療は避けて通れないものとなっておることは、ご承知のこととは存じますが、卒後の勉強、研修でしかその習得は不可能である今、私たちの責任も重大であると考えます。幸いなことに、我GIRCには、津末会長をはじめ、小林博先生、先に列記した先生等、ベテランの先生が多数おられますので、それらの先生方の教えをもとに私もその一翼を担えればと思っております。
 会員の先生方のニーズに耳を傾け、必要なポイントを押さえて、研究会として運営してゆきたいと考えていますので、忌憚のないご意見を聞かせてもらい、GIRCを盛り上げていきたいと思います。

                                輿 秀利

施設長挨拶

早いもので施設長を拝命してより、数年が経過いたしました。お話をいただいたときは「私如き者が、インプラント学会公認の認定医の養成施設であります100時間コースの施設長など恐れ多く、とんでもない」との思いでした。
輿理事長、伊藤賢先生、中村先代理事長、今村先生達古参の津末会長門下生が、箱根で会長の「古希」のお祝いを開催しましたが、その席で「どうか会長には、是非、私共が現役でいる間は、何が何でもお元気で会長職を続けて頂きたい。我々が80歳ぐらいで現役をリタイヤー(?)しなければならなくなるような頃になれば、あまり御無理をお願いするのは止めよう」との我々古参グループの暗黙の了解があり、その席で直接のお願いを致しました。まさしく、俗に云う「おんぶに、だっこ」の心境であります。
 そうしますと、会長は「自分(会長)を立ててくれるのは嬉しいが、世代交代もある。この研究会が更に発展するには、どうしても「君達も、自分(会長)の位置までとは言わないが、何とか努力して近い位置まで成長して、後輩の為に尽力するようでなくてはだめである」と云うような事をおっしゃられたと記憶しております。
 と言いますのも、我々が、会長の御指導を頂いてより20年が経過し、その間、実に様々な事を教えて頂きました。その内容は、日々の患者様との診療にまつわるお話からトラブルの解決方法、経営から冠婚葬祭に至るまで実に多岐にわたり、我々の結束の強さは、他の研究会には見られないもののようであります。
 さて、この様なカリスマ的な会長のもとで「私に何が出来るか?」大変不安でありましたし、今でも不安であります。しかし、会長が今でも「山根稔夫先生の話」をされ、自分(津末会長)が私共にして下さることは、会長がお若い時分に、「山根先生からその人柄に感化され感銘を受けた事の幾分かでも、我々の返そう」と考えているとの話を聞いた時、私はこれだ!と思いました。
 人間はどうしても「錯覚と生意気」が出易くなりがちですが、今、自分が、この能力を身に付けていられるのは、又、この立場にいられるのは、津末会長であり、小林教授であり、その他、多くの方々との出会いの運の強さによるものであります。周りを見ていても、常に「今の自分が、今有るのは、あの時あの人に出会えたからだ」との原点に戻れる人の方が、更に発展されているような気がしてなりません。
 ここへきて、どうも偉そうな事を言ってしまったようです。 何はともあれ、会長先生のことを、伊藤賢先生は常に「おやじ」と呼ばれております。伊藤先生だけに独占させることなく、皆様先生方も何でも指南を受け、会長が年をとっている暇が無い様に致しましょう。
 我々古参のグループも、若い先生方に負けぬよう、津末会長のようなカリスマの会長が出現し、引退のお許しが出る迄は、努力したいと思います。
この度会のホームページの完成にあたり、会員の皆様方がこのホームページを積極的に活用いただき「総合インプラント研修センター」及び皆様方のより一層の発展に寄与することを祈念いたします。

                                梨本 正憲

副理事長挨拶        私と津末会長とインプラントの関り

私が口腔インプラントというものを知ったのは、確か大学4年の時だったと思います。大学購買部で書籍を見ていると、医師薬出版社の歯科医展望の中に、当時京セラ社のサファイヤインプラント(セラミックインプラント)について記載されていたのを見たのが最初で、当時は大学の講義の中にもインプラントに関して全くなかった時代だったので変わったものがあるなぁ〜という思いでした。ちょうどその頃FD,PDの基礎実習の真っ只中で四苦八苦、インプラントであればこんな苦労もせず、患者も快適な食生活を過ごすことができるのではないかと思い実習をしていたことを昨日の事のように覚えています。
 そうこうしているうちに、臨床予備実習、臨床実習に突入、患者配当を受けケース終了に向け必死、やっとのことでコース終了最終関門は教授の口答試問、そこで教授曰く「穂哲学教室に残らないかね」と言われ、どうして又卒業してまで石膏相手に四苦八苦するのか、もう勘弁して欲しいという思いが強く、又外科に興味があったので口腔外科教室に入局し1年が過ぎたある日突然、輿先生より電話があり、色々話をしているとインプラントの話になり益々興味がわいてき、輿先生より手術見学しないかと言う話が出、津末先生も見学しても良いと言うことだったので、早速横浜の津末先生宅(津末歯科)を訪問し手術見学をさせていただき、最初に驚いたのが手術室があること、そして、手術に入るとまた手際が良くスムースに手術が進み終了し、手術が見事なことに感嘆したことを今も鮮明に覚えています。このことが、津末先生とのご縁の始まりで、約一年間、信州塩尻より横浜まで手術見学させていただいていると、輿先生が開業するという話が出、その後任として私が津末先生の勤務医として本格的に、一般臨床、インプラントと関わる様になったわけです。
 その勤務医時代には一般臨床のcheckが一日の診療終了後院長室であり、又、手術の前には必ずレポート提出がありcheckを受ける。この様なことが、私の今に大きく関わっているのは言うまでもありません。いつも津末先生から言われたことは、「疑問をもって診療しなさい。そうして判らないことは質問しなさい。」ということでした。会員の先生方も津末先生のこの考え方でレベルアップを測っていただければG.I.R.Cも今後更なる発展を遂げることと思います。
 最後に、今回副理事長という大役を受け、身にしみる思いであります。又、輿理事長をバックアップし会の為精進してまいりたいと思っております。若輩者ではございますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。

                                松原 正典